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名古屋高等裁判所 昭和30年(ネ)263号 判決

控訴人 被告 松浦太郎 外一名

被控訴人 原告 光勝院 代表者代表役員 鈴木道一

主文

原判決を左の通り変更する。

控訴人両名は被控訴人に対し名古屋市中区裏門前町一丁目十六番境内地三百四十二坪一合の内(1) 原判決添付図面中赤線で囲んだ部分(以下単に(1) の土地と称する。)及(2) 同青線で囲んだ土地の部分(以下単に(2) の土地と称する。)を、控訴人杉浦太郎はその地上に在る別紙第一目録記載の建物及その附属設置物を収去し別紙第二目録記載の建物から退去して、控訴人合資会社松宇良(以下単に控訴人松宇良と称する。)はその地上に在る別紙第二目録記載の建物及その附属設置物を収去し別紙第一目録記載の建物から退去して明渡せ。

被控訴人に対し控訴人松浦太郎は金二万九千九十七円を、控訴人両名は各自三十万三千九百八十四円及昭和三十三年七月一日以降右(1) (2) の土地明渡済に至るまで月五千六百七十八円の割合による金員を支払え。

被控訴人の其の余の請求は之を棄却する。

訴訟費用は第一、二審共控訴人両名の負担とする。

本判決は金員支払を命ずる部分に限り之を執行することが出来る。

事実

第一、当事者双方の申立

控訴人等代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求は之を棄却する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決並仮執行の宣言を求め、尚請求の趣旨を「主文第二項同旨並被控訴人に対し控訴人松浦太郎は金四萬二千六十六円を、控訴人両名は各自金三十萬四千八百八十四円及昭和三十年七月一日より主文掲記の(1) 及(2) の土地明渡済に至るまで月金五千六百七十八円の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は第一、二審共控訴人両名の負担とする。」と訂正した。

第二、当事者双方の事実上の陳述証拠の提出援用書証の認否は左記に訂正又は補充する外原判決事実摘示と同一であるからここに之を引用する。

(一)  被控訴代理人は控訴人松浦太郎は昭和二十二年三月頃主文掲記の(1) 及(2) の土地上に建物を建築し昭和二十八年九月一日から控訴人松宇良が之を借受け料理業を営んで来たのであるがその后控訴人両名は右建物に増改築を加えて別紙第一、二目録記載の建物等とし第一目録記載の建物等は控訴人松浦太郎の、第二目録記載の建物等は控訴人松宇良の所有名義とし且控訴人両名は共同して右各建物を使用しその敷地たる前記の(1) 及(2) の土地を不法に占有しているものである。而して、右不法占拠によつて控訴人等は被控訴人に対し相当賃料の割合による損害を加えているものであるが、その損害額は次の通りである。即ち、控訴人松浦太郎は単独で昭和二十五年四月一日から昭和二十八年八月末日まで月千二十六円の割合による合計四萬二千六十六円を、控訴人両名は昭和二十八年九月一日以降昭和三十三年六月末日まで別紙計算書の通り三十萬四千八百八十四円及同年七月一日以降土地明渡済に至るまで月五千六百七十八円の割合による損害金を各自支払うべき義務があると述べた。

(二)  控訴人等代理人は

(1)  右被控訴人主張事実中控訴人松浦太郎が(1) 及(2) の土地上に建物を建築し被控訴人主張の如く控訴人松宇良が之を借受け料理屋業を営んで来たこと、被控訴人主張の建物等の所有名義がその主張の通りになつていること、並右建物を被控訴人主張の如く控訴人等が使用してその敷地たる本件(1) 及(2) の土地を占有していることは之を認めるがその余の事実は之を争う。

(2)  控訴人松浦太郎は右(2) の土地も(1) の土地と同時に旧光勝院から借受けたものである。

(3)  旧光勝院(被控訴人の前身)は昭和十七年六月十八日宗教団体法に基いて宗教法人として登記をなして居りその后昭和二十年十二月二十八日宗教法人令が施行せられたにも拘らず同令による登記は全然なされておらず、昭和二十六年四月三日宗教法人法が施行されるや同法に依拠して昭和二十八年五月一日に至つて漸くその登記をなしているに過ぎない。従つて被控訴人の前身たる旧光勝院は宗教法人令により保護される関係、即ち旧光勝院と善意の第三者間に生じ得べき若くは生じたすべての法律関係において保護されないのである。のみならず本件賃貸借成立当時即ち昭和二十一年頃は戦災直后であつて本件土地一帯は焼野原であつて寺院の形態は全然存在せず、いずれの部分が境内地でいずれの部分が墓地であつたかその境界すら不分明の状態であつた。換言すれば、宗教の目的を達成すべき境内地なる観念も存在せず、即ち宗教の目的を達成すべきものは何一つ存在しないのであるから旧光勝院が保護を求むべき対策が存在しなかつたというべきである。結局宗教法人令施行当時は旧光勝院はその登記をなさず、且保護の実体を有せず被控訴人が本堂再建を実現し得たのは宗教法人法施行后たる昭和二十八年末のことに属するから本件は宗教法人法によつて律すべきである。

(4)  仮に然らずとするも、本件賃貸借当時右の如く旧光勝院は寺院たる実体を有しなかつたのであるから本件土地は境内地と目すべきではなく、従つてその処分は寺院住職の自由である。仮に然らずとするも、賃貸借の如きは管理行為と認むべきであつて処分行為ではないからいずれにせよ寺院住職が自由になし得る。

(5)  仮に然らずとするも被控訴人が本堂再建当時工事従業員檀徒総代と覚しき人物が控訴人等方に出入して工事用の水をくみ湯茶の用を足していたのであり、此の間控訴人等方の建物の存在について何等の異議を述べなかつたのであるから檀徒総代において本件賃貸借の締結を暗黙の内に承認していたものというべきであり且本山においても之を承認していたものである。

(6)  仮に然らずとするも名古屋市特に大須一帯の多数の寺院は戦前戦后を問わず、檀徒総代等の同意を得ずして商人に境内地を賃貸し寺院経済の一財源となす慣習が存していたのであり旧光勝院及控訴人松浦太郎も右慣習による意思を以つて本件賃貸借を締結したのであるから控訴人松浦太郎は右慣習に基き正当に賃借権を取得したものである。

(7)  仮に然らずとするも、控訴人松浦太郎が本件土地を賃借した昭和二十一年十二月以前頃は戦災直后であり鈴木道一自身食を求めるに困窮していた際であり仮に形式的に檀徒総代が存在していたとしてもその同意を得ることは不可能の状態であつたからその同意なくして賃貸借を締結しその窮境を打開するのはむしろ当然のことというべきである。而して、控訴人松浦太郎は昭和二十四年頃には既に現在の規模の家屋を建築していたものでありその后控訴人松浦太郎等の本件土地使用に対し何等の異議を述べることなく長日月を経た后も被告人代表者鈴木道一は控訴人松浦太郎より食事の提供を受ける等格段の救済的恩義を受けておりながら之を仇で返し本訴請求をなすのは背徳行為というべく宗教の本義にももとるものというべきである。而も、被控訴人としては広大なる堂宇を建築すべき必要なく被控訴寺院の分相応の堂宇を建築すべき余地は十分に存在する。従つて本訴請求は権利の濫用というべきであると述べた。

(三)  被控訴代理人は右に対し旧光勝院は宗教団体法により宗教法人として登記をなしたる以上宗教法人令が施行せられても同令附則により新にその登記を要せざること明である。而して被控訴人は宗教法人法施行と共に同法附則第五項第十八項により旧光勝院の権利義務を承認したものである。その余の控訴人等の右主張事実はすべて之を争うと述べた。

(四)  立証として、被控訴代理人は当審において甲第十三、十四号証、同第十五号証の一、二、同第十六号証の一乃至三、同第十七乃至十九号証同第二十号証の一乃至三、同第二十一号証の一、二を提出し証人風岡範一同杉原保之の尋問を求め当審における検証の結果を援用して第三号証同第九号証同第十二号証は不知、同七号証同第十号証、同第十一号証の一、二同第十三号証の成立を認め同第八号証中鈴木正山、鈴木道一の署名捺印は否認するかその余は成立を認めると述べた。控訴人等代理人は当審において乙第八乃至十号証同第十一号証の一、二同第十二、十三号証を提出し証人上野桂堂(二回)同服部元四郎、同桜木康雄の尋問を求め当審における検証の結果を援用し甲第十六号証の一乃至三、同第十七号乃至十九号証、同第二十号証の一乃至三、同第二十一号証の一、二の成立を認め同第十三、十四号証同十五号証の一、二の成立は不知と述べた。

理由

被控訴人主張の日旧光勝院が宗教法人法の規定に従い設立の登記をなすことにより被控訴人となり被控訴人が旧光勝院の権利義務を承継したこと、控訴人松浦太郎が(1) 及(2) の土地上に建物を建築し被控訴人主張の如く昭和二十八年九月一日から控訴人松宇良が之を借受け料理屋を営んでいたこと、被控訴人主張の別紙第一目録記載の建物等が控訴人松浦太郎が同第二目録記載の建物等が控訴人松宇良の所有名義となつていること、右第一、二目録記載の建物を控訴人等が夫々被控訴人主張の如く使用しその敷地たる本件(1) 及(2) の土地を占有していることは当事者間に争がなく成立に争のない甲第十七号証同第二乃至六号証原審における被控訴人代表者鈴木道一の供述によれば控訴人等が控訴人松浦太郎が建築した右建物に増改築を加えて右第一、第二目録記載の建物となしたことを認めることが出来る。

控訴人等は控訴人松浦太郎は旧光勝院から本件土地を借受けた旨抗争するので此の点について判断する。控訴人松浦太郎が本件(1) の土地を旧光勝院から賃借したことは当事者間に争がなく成立に争のない乙第一、二号証甲第八号証原審並当審における被控訴人代表者の供述、原審における同供述によつて成立を是認すべき乙第三号証、鈴木正山、鈴木道一の署名捺印部分は当審における控訴本人松浦太郎の供述により成立を是認すべくその余の部分は成立に争のない乙第八号証によれば旧光勝院の住職鈴木道一は昭和二十一年末頃訴外木全鍬次郎の仲介で控訴人松浦太郎から戦災で焼失した旧寺の復興に協力して本堂の建築をなし且都市計画のため旧光勝院がその所有権を喪失することとなるべき旧墓地の回復を計るから寺院境内地の一部を借受けたい旨申込を受けたのでその条件の下に之を承諾し、おそくとも昭和二十一年十二月二十六日までに境内地の一部なる前記(1) の土地を同控訴人に対し期間の定なく建物所有の目的を以て賃料は月八百十円(昭和二十四年二月以降は月千二百十五円)の約にて賃貸したことを認めることが出来る。右認定に反する原審証人上野桂堂の証言原審における控訴本人松浦太郎の供述は各措信しがたく他に右認定を左右するに足る証拠はない。然しながら控訴人松浦太郎が(2) の土地を借受けたとの控訴人等主張事実については之に副う当審証人上野桂堂(第一、二回)の各供述は措信しがたく成立に争のない乙第四号証同第七号証当審における控訴本人松浦太郎の供述当審証人服部元四郎の証言同証言により成立を是認すべき甲第七号証によるも前記鈴木道一は右(2) の土地を一旦訴外服部元四郎に売却したが昭和二十二年七月頃右契約を解除し既に受取つていた代金の内金二万円を返還するに当り旧光勝院が控訴人松浦太郎から寄附を受けることとなつていた三万円の内金二万円を之に振向け控訴人松浦太郎に金二万円を出捐せしめた事実を認め得るに止まり右(2) 土地を控訴人松浦太郎が賃借した事実を認めるに足らず他に右事実を認めるに足る証拠がない。

被控訴人は右(1) の土地賃貸借につき檀徒総代等の同意を得ないから宗教法人令第十一条に違反する旨主張し原審並当審証人杉原保三原審証人鬼頭武比古、当審における被控訴人代表者鈴木道一の供述によれば本件(1) の土地の賃貸借については当時檀徒総代三名の内一名は死亡し他は疎開中で住所も明でなかつた関係上前記鈴木道一はその同意は勿論、所属宗派の主管者の承認をも得ることなく締結したものなることを認めることが出来る。右認定に反する当審証人上野桂堂(第一回)の供述は措信しがたく他に右認定を左右するに足る証拠がない。而して、宗教法人令は昭和二十年十二月二十八日施行されたものであるがその后昭和二十六年四月三日現行宗教法人法によつて廃止せられるに至つたことは控訴人等主張の通りであるが本件賃貸借契約締結当時はあたかも宗教法人令施行当時のことに属するから本件は宗教法人令によつて律すべきであつて控訴人等主張の如く宗教法人法によつて律すべきものではない。而して、右の如く檀徒総代等の同意を得ずして寺院住職が単独でなした賃貸借は処分の権限を有せざる管理人のなした賃貸借として民法第六百二条の期間を超えざる期間内に限り有効と認むべきであるが、之を超ゆる部分は無効と解すべきである。けだし、賃貸借は長期のものに非ざる限り宗教法人令第十一条に所謂処分とは認めがたいからである。本件賃貸借は前記認定の如く建物所有を目的とし期間の定のない賃貸借であるけれども期間については借地法第二条の規定の適用はなく民法第六百二条の適用の結果五年間に限り有効に存続することとなる。即ち、本件賃貸借が締結せられた前記昭和二十一年十二月二十六日から五年間即ち、昭和二十六年十二月二十六日まで本件賃貸借は存続することとなるわけであるが右期間満了に先立ち被控訴人の前身たる旧光勝院が昭和二十五年十一月十三日本訴を提起したことは記録上明であるから被控訴人は右期間の更新を拒絶したものと認むべきであり且右賃貸借が前記の如く檀徒総代の同意等を得ずして締結されたものなること、並後記認定の如く被控訴人が本堂再建のため本件土地を必要とする事情に鑑みれば右更新拒絶は正当の事由に基くものといわねばならない。されば、右賃貸借は昭和二十六年十二月二十六日の満了を以て終了したものといわねばならない。

控訴人等は旧光勝院は宗教法人令により登記していないから同令により保護されないというが、旧光勝院は控訴人等も認める如く宗教団体法によりその登記をなしている以上宗教法人令による登記をなす必要のないこと同令附則によつて明であるから控訴人等の主張はその理由がない。又控訴人等は旧光勝院は本件賃貸借締結当時堂宇を有せず之を有するに至つたのは宗教法人法施行後である旨抗争するが寺院が堂宇を有しなかつたとしても本件土地が旧光勝院の境内地なること前記の通りなる以上その処分につき宗教法人令を適用するにつき何等の差支がないものというべきであるから控訴人等の主張はその理由がない。

以上説明した如く本件賃貸借の締結につき宗教法人法を適用すべきでないこと明であるから同法第二十四条の適用を前提とする控訴人等の主張の理由のないこと又多言を要しないところである。

控訴人等は更に或は旧光勝院は寺院たる実体を有せずとし或は賃貸借は管理行為であるから住職が本件土地を自由に賃貸し得るものなる旨抗争するがその理由なきこと上来説明するところによつて明である。成立に争のない乙第十一号証の一、二により本件賃貸借が檀徒総代及宗派主管者の同意を要せざるものと認むべからざること当審証人風岡範一の証言同証言により成立を是認すべき甲第十三、十四号証同第十五号証の一、二と対比して明である。

控訴人等は本件賃貸借についてその后檀徒総代等の追認或は黙示の承認を得た旨主張するが控訴人等の全立証によるも之を認めるに足る証拠がない。

控訴人等は更に檀徒総代等の同意又は承認を得ずして賃貸借を締結する旨の慣習が存し本件賃貸借は之に基き締結された旨抗争しているが右の如き慣習を肯認するに足る証拠がないのみならず仮に右の如き慣習が存したとしても右は強行法規たる宗教法人令第十一条に違反するものであるから控訴人等の主張はその理由がない。

控訴人等は本訴請求は権利の濫用であると主張する。成程旧光勝院はその境内地の一部を写真屋等五名のものに賃貸していたことその後同人等に右土地を売却したことは当審における被控訴代表者鈴木道一の供述により明であるが同供述及原審並当審における検証の結果によれば右土地部分は被控訴寺院境内の要部ではなく且右賃貸及売却については、爾後に檀徒総代の同意を得ていることが認められる。のみならず成立に争のない甲第十六号証の一乃至三同第二乃至六号証当審における被控訴代表者の供述原審並当審における検証の結果によれば控訴人松浦太郎が本件土地を賃借するに当つては前記の如く控訴人松浦太郎が旧光勝院のため本堂を建設し墓地を確保すべき旨の条件が附せられていたにも拘らずその条件はいずれも果されなかつたこと、本件土地が境内地の要部に位しその返還を受けなければ本堂を建設することが出来ないこと、被控訴寺院の前身旧光勝院から控訴人松浦太郎に対し明渡の通告を発した後も控訴人松浦太郎は敢て増築又は造作を施していることを認めることが出来るから被控訴人が本件請求をなしたとしても之を以て権利濫用となすことが出来ない。その他の控訴人等主張事実が認められたとしても右認定の如き被控訴人側の事情と対比しそれのみを以ては本訴請求を権利濫用として拒否する理由となすことが出来ないから控訴人等の主張はその理由がない。

されば控訴人松浦太郎は前記(1) の土地を昭和二十六年十二月二十七日以降不法に占拠しているものというの外なく原審並当審における控訴人松浦太郎の供述前掲甲第七号証によれば控訴人松浦太郎は(2) の土地をおそくとも昭和二十二年七月頃から占有使用していることを認めることが出来控訴人松宇良が昭和二十八年九月一日以降右(1) (2) の地上家屋を借受け料理屋業を営んでいたこと、その後右家屋の増改築を加え別紙第一、二目録記載の建物となし控訴人等が之を使用して右(1) (2) の土地を占有していることは前記の通りである。而して、本件土地の使用権原につき何等の主張立証をなさない控訴人松宇良も亦之を不法占拠しているものといわねばならない。ところで被控訴人は控訴人松浦太郎に対し昭和二十五年四月一日以降の損害金の請求をなしているが前記の如く(1) の土地については昭和二十六年十二月二十六日まで有効な賃貸借が存続していたわけであるから昭和二十五年四月一日以降昭和二十六年十二月二十六日までの間は(1) の土地については地代の請求ならばともかく損害金の請求は出来ないものといわねばならない。従つて、控訴人松浦太郎は(1) の土地については昭和二十六年十二月二十七日以降(2) の土地については昭和二十五年四月一日以降控訴人松宇良は占拠の日たる昭和二十八年九月一日以降土地明渡済に至るまで各自被控訴人に対し右各土地に対する相当賃料に相当する損害金を支払うべき義務があるものというべきである。而して相当賃料は公定賃料相当額と解すべきところ、成立に争のない甲第二十号証の一、二に弁論の全趣旨を綜合すれば本件土地は境内地であるため昭和二十七年度までは非課税地として賃貸価格が定められなかつたことが認められるから昭和二十七年度以前においては地代家賃統制令第五条による停止統制額又は認可統制額に代るべき地代がなかつたものと認めねばならない。然しながら、前記甲第二十号証の一、二によれば被控訴人主張の月千二十六円賃料は当時としては相当であつたと認められるから昭和二十五年四月一日から昭和二十七年十二月末日までの損害金は月千二十六円と算定するを相当とする。次に、昭和二十八年度の本件土地の固定資産評価額は前記甲第二十号証の一、二によれば八十五万六千七百六十六円であることが認められるが、同号証によれば右は本件土地を七十九坪九合七勺として評価したものであることが認められる。而して原審における検証の結果によれば本件土地の範囲が約百四十坪なることが認められるから此の坪数によつて計算するときは固定資産評価額は被控訴人主張の百十万七千二百円をはるかに上廻ることは算数上明白である。そこで固定資産評価額を被控訴人主張の通りとして公定賃料を算出すると月三千三百二十一円となる。(但し被控訴人は昭和二十八年八月末日までは月千二十六円として計算請求しているから同日までは之による。)又昭和二十九年度以降の公定賃料については前記甲第二十号証の一乃至三同第二十一号証ノ一、二によれば被控訴人主張の通りの固定資産評価額及都市計画税が認められるから昭和二十七年十二月四日建設省告示第千百十八号(昭和三十一年六月十九日建設省告示第一〇〇六号)によつて計算すると、昭和二十九年度は月四千七百九十八円、昭和三十年度は月五千三百八十一円、昭和三十一年度は月五千五百二十九円、昭和三十二年度以降は月五千六百七十八円であることが認められる。(尚昭和三十一年度分については固定資産評価額の千分の三に都市計画税の九分の一を加算すべきに拘らず被控訴人は都市計画税の十二分の一を加算しているが、加算額が法定のものより少額であるから被控訴人主張の通りの金額とする。)尚昭和二十五年四月一日以降昭和二十六年十二月二十六日までの間は前記の如く(1) の土地については損害金を請求し得ないわけであるから此の期間は前記月千二十六円を原審検証の結果によつて認められる(1) の土地の坪数八十六坪と(2) の土地の坪数五十六坪(原審検証調書に付約五十四坪とあるもその記載の間口及奥行によれば計算上五十六坪の誤記であることが分る。尚坪以下は切捨の計算である。)の坪数に従つて(2) の土地の損害金を算出すると(2) の土地の損害金は月四百四円(円以下切捨。)となる。

そこで以上の基準に従つて計算すると控訴人松浦太郎は昭和二十五年四月一日から昭和二十八年八月末日まで合計二万九千九十七円(昭和二十六年十二月分は同月二十六日までの分とその以後の分を日割計算し円以下切捨の計算。)、控訴人両名は各自昭和二十八年九月一日以降昭和三十三年六月末日まで三十万三千九百八十四円(被控訴人の主張には計算上の誤算がある。)及昭和三十三年七月一日以降右(1) (2) の土地明渡済に至るまで月五千六百七十八円の損害金を支払うべきこととなる。結局被控訴人に対し控訴人松浦太郎は第一目録記載の建物等を収去し第二目録記載の建物から退去して、控訴人松宇良は第二目録記載の建物等を収去し第一目録記載の建物から退去して本件(1) 及(2) の土地を明渡し且控訴人等は夫々右損害金を支払うべき義務があるものというべきである。

以上の理由により被控訴人の本訴請求は右認定の限度において正当であるから之を許容しその余は失当として棄却し、之と異る原判決は之を変更し、且被控訴人が仮執行の宣言を求めているが金員支払を求めている部分についてのみ之を許容しその余は却下し、民事訴訟法第三百八十六条第八十九条第九十六条第百九十六条を適用し主文の如く判決する。

(裁判長裁判官 県宏 裁判官 奥村義雄 裁判官 夏目仲次)

(第一、第二目録、地代統制額計算書省略)

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